出張 ちょこっと利助くん!『戦後80年記念企画展「過去から未来へ~平和への架け橋~」を開催中!』

光市文化PR大臣 利助くん
利助くんは、光市の様々な文化を紹介するキャラクターです。
日頃は、「ちょこっと利助くん!」で伊藤公資料館を紹介していますが、今回は出張で光市文化センターへやってきました。
「利助」は光市生まれの初代内閣総理大臣伊藤博文の幼名です。
戦後80年記念企画展「過去から未来へ~平和への架け橋~」
今年は、太平洋戦争の終戦から80年の節目の年。
光市文化センターでは、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、平和への願いを未来につなげるために、戦後80年記念企画展「過去から未来へ~平和への架け橋~」を8月2日から9月28日まで開催中です。
展示内容をちょこっと見てみよう!

昭和12年に海軍は光市に新しい海軍工廠の建設を決定し、光海軍工廠という名称で昭和15年に開庁しました。同時に、島田村・浅江村・三井村・光井村が合併してできた周南町も光町に改名し、昭和18年には、室積村も合併し、光市が誕生しました。

戦局の拡大により、成人男子が兵隊に徴集されたため、海軍工廠では労働力が不足し、それを補うため、10代半ば以降の学徒や女子が動員されました。多くの若者が、学業を中断せざるを得ず、軍需工場で働くこととなりました。

昭和20年8月14日、光海軍工廠は空襲を受け、学徒動員も含め748人の尊い命が犠牲になりました。翌日、玉音放送により日本は降伏。終戦のわずか1日前の悲劇でした。

★初公開の資料です
昨年、光井小の金庫から昭和20年の日誌が見つかりました。空襲のあった8月14日のページには「戦中治療所トナリ負傷者及ビ看護人多数」と記載され、子どもたちの学びの場である学校に被害者が多数運ばれてきたとの記述があります。翌日(15日)のページには、死者2名・不明者4名と書かれています。空襲後の生々しい様子が書かれています。

戦局が悪化した昭和19年には、軍部は敵艦に体当たりする特攻攻撃を開始しました。光海軍工廠にも、魚雷を改造した兵器に人が乗って体当たりする人間魚雷回天の基地が置かれました。20歳前後の若者が出撃し、帰らぬ人となりました。
音羽キミ氏 戦争回顧録
音羽キミ氏は、自らの戦争体験を絵画にして、戦争の悲惨さや平和の尊さの伝承に取り組んでおられ、この度の企画展の開催にあたり、10点の絵画をお貸しいただいています。


平和へのメッセージコーナー
市民の皆さんからお寄せいただいたメッセージや、平和への願いを込めて折られた鳩を展示しています。
みんなで平和について考えてみませんか。

光井小学校、光井中学校の児童・生徒から届いた平和へのメッセージも展示しています。


この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化・社会教育課 文化振興係
住所:〒743-0011 光市光井九丁目18番3号
電話番号:0833-74-3607
メールアドレス:bunsya@edu.city.hikari.lg.jp
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更新日:2025年08月27日