史跡石城山神籠石
国指定史跡石城山神籠石
- 指定年月日 昭和10年6月7日
- 場所 光市大字塩田字石城、字山中
石城山神籠石案内図は下記リンクに記載致します。
石城山について
石城山は、光市と田布施町にまたがる標高362メートルの山で、石城山県立自然公園の中にあります。高日ケ峰、大峰、星ケ峰、鶴ケ峰、月ケ峰の5峰を主峰として、その八合目付近を、土塁や門、水門などの遺構が取り巻いています。また山頂付近には、重要文化財に指定されている石城神社が鎮座しています。
神籠石と古代山城
神籠石とは、本来、磐座[いわくら] (神の依り代となる岩石)の一種を指す名称でしたが、明治31年の学会で福岡県久留米市の高良山の列石遺構が神籠石と紹介されたことから同じような列石遺構が神籠石と呼ばれるようになりました。
学会では、神籠石を神域とする説と山城とする説が相次いで発表され論争となりましたが、発掘調査の成果を受けて、古代の山城であることが確認されました。
その古代山城は、663年、朝鮮半島の白村江[はくすきのえ]の戦いで、唐・新羅連合軍との戦いに敗れたことを契機に、7世紀後半から8世紀初頭ころに構築されたといわれています。
古代山城は大きく分けると、『日本書紀』及び『続日本紀』などの文献資料に築城や修築の記載のある「朝鮮式山城」と、記載の見られない「神籠石系山城」に分類されます。また、神籠石系山城の中でも、瀬戸内海にあるものと北部九州にあるものでは、下記のような差異がみられます。
瀬戸内海 | 北部九州 | |
---|---|---|
列石の加工方法 | 割石ないし一部切石 | 切石 |
列石の配置方法 | 列石の非露出(土塁に覆われている) | 列石の露出 |
山城の選地 | 比較的標高が高い山が選ばれ、城壁が山頂付近を巡る | 平野に近接する低山で、城壁が平野部まで下がって巡る |
城壁ライン | 城壁の走行が直線を基調とする折れ構造 | 城壁の走行が曲線を基調とする |
史跡石城山神籠石の概要
石城山神籠石は明治42年に熊毛郡視学の西原為吉氏によって発見され、昭和10年6月7日に「石城山神籠石」として国の史跡に指定されました。その後、昭和38年と39年に文化財保護委員会(現文化庁)・山口県教育委員会・大和村教育委員会(現光市教育委員会)によって発掘調査が行われました。
その結果、土塁と列石、水門と城門が見つかり、土塁と列石は、南側の鶴ケ峰の近くを頂点として鉢巻状に石城山を取り囲み、総延長は、約2.5キロメートルにもなることが分かりましたが、築城の時期を確定する遺物、倉庫等の痕跡、石の切り出し口などは見つかりませんでした。
また、石城山神籠石は、選地や城壁のライン、列石の加工方法や門の礎石の形状など、瀬戸内海の神籠石と共通する要素が多く見られますが、列石の一部を揃えるためのL字状の加工や、東水門の石材加工のような、北部九州の神籠石に見られる要素も併せ持っていることが1つの特徴です。
東水門で見られる石材加工。石の隅をL字型に切り隣の石と高さを合わせることで、石を水平に積むことができ強度が増します。
水門について
城内の雨水などを外へ排水するため、城壁が谷を通るところには、土ではなく石を高く積み上げる方法で水門を造っていて、北水門、東水門、南水門、西水門の4か所が見つかっています。西水門では排水口は見つかっていませんが、他の水門では石垣の下部に見つかっています。
形はさまざまで、北水門はほぼ同じ大きさの石垣が「く」の字に接しており、東水門は4水門の中で一番長大な構造物です。西水門は三段で構成されており、南水門は降雨による土砂の影響を受けて現在は見ることができるのは一部となっています。
北水門
西水門
東水門排水口
城門について
城の出入口である城門は2か所確認されており、このうち北門には通称「沓石」と呼ばれる大きな2つの石があります。これは門の柱の基礎と考えられています。この門の礎石を上から見ると、カタカナの「コ」の字のような形状です。こうした「コ」の字型にくり抜かれた門の礎石は、瀬戸内海の神籠石に共通して見られます。なお、「コ」の字の部分に門柱を設置しますので、北門は1辺約60センチメートルの方形の柱を据えようとしていたと推測されます。
北門
沓石
土塁について
日本の古代山城のほとんどの城壁は土塁を基本としています。城壁や土塁という言葉から、万里の長城のような断面が台形状の両壁を有する構築物をイメージされるかもしれませんが、石城山神籠石の土塁構造は、山の傾斜面を利用して土を段状に積み上げて城外との段差を設けるもので、内托土塁[ないたくどるい]と呼ばれています。
土塁は発掘調査の際、列石の上にとても硬い縞状の堆積層が見つかったことから調べたところ、版築工法による土塁が築かれていたということが分かりました。
列石は土塁の土留石として使われていたと考えられており、築城当初は、土塁の中に配置されていたことが発掘調査によって明らかにされています。そのため、現在、表面に露出している列石は、浸食や発見当時などに掘り出されたために露出したと考えられます。
版築工法とは板で枠を作り、その中に土などをいれて、入れた土をつき固め、それを何層もつくり、土を積み上げていく工法です。この時、1回につき固める土の量が少ない方が、頑丈な土塁となります。
発掘調査で検出された列石外側の柱穴。(版築の際に土の流出防止用の板を支えるための柱の穴と考えられています。)
石城山の植物
石城山には、「新ひかり名木百選」に選ばれた樹木や季節の草花など多くの植物が生えています。
クロガネモチ
イロハモミジ
ヒノキ
ヤブツバキ
石城山の季節の草花
秋
イタドリ
ノコンギク
ミゾソバ
アキチョウジ
ヒヨドリバナ
アクセス
地図情報
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化・社会教育課 文化振興係
住所:〒743-0011 光市光井九丁目18番3号
電話番号:0833-74-3607
メールアドレス:bunsya@edu.city.hikari.lg.jp
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更新日:2020年03月02日